カラコルムの山と人(1)
私がカラコルム山脈(写真1)にはじめて行ったのは,2003年のことでした。カラコルム山脈に出かけるまではもっぱらヒマラヤで地理学調査を行っていましたが,2003年前後はちょうどネパールが反政府武装勢力によって不安定な時でしたので,少し西の山を見てみようと出かけたわけです。と言いましても,自力で行ったわけではなく,長年にわたって現地で調査を続けていた日本大学のチームにドイツ人研究者らと一緒に招待されてのことでした。
ドイツ人研究者もカラコルムで20年以上にわたって調査を行っており,はじめての私にとってはあらゆることを学ぶに最高の状況にありました。実際に出かけてみると,カラコルム山脈の景色や人びとは,長い間ヒマラヤ山脈で接してきたそれらとはまったく違っていて,見るものすべてが新しく,驚きの連続でした。2003年以来,すでに8回にわたってカラコルム山脈を訪れる機会に恵まれ,この地域を研究する新参者の一人に加わりました。
ここで,カラコルム山脈の自然について簡単に紹介をしましょう。
カラコルム山脈はカラコラム山脈とも呼ばれ,パキスタン,インド,中国の国境付近にまたがる,長さ約500キロメートルの大山脈です。ヒマラヤ山脈の北西側に位置しており,カラコルム山脈の北西にはワハン回廊があり,西にはヒンズークシュ山脈があります。カラコルム山脈はK2(8,611メートル)と呼ばれる世界第二位の高峰がある山脈としても知られています。8,000メートル級の山が 4 座あり,数えたことはありませんが7,000 メートル級の山も60座以上あるとか80座以上あるとか言われています。
また,長さ60キロメートル以上のバルトロ氷河をはじめ,大規模な氷河がたくさんあります。世界中で氷河の縮小・後退が叫ばれている中で,カラコルム山脈の氷河には,前進しているものやほとんど変わらないものが多いことも特徴の一つとして知られています。
およそ5,000万年前からできはじめたとされているカラコルム山脈は,地質学的にも重要で世界中から多くの地質学者が調査に来ています。その理由の一つに,この地域が極端に乾燥しているため,岩肌を観察しやすいことがあげられます。地表面が植物によって被われていないことが多く,地質の観察に適しているわけです。
日本のような湿潤地域の山岳では,通常,低所には森林があり,斜面をあがって行くにつれて樹木の背丈が小さくなり,やがて高所では樹木が生えなくなって岩と氷雪の世界になっていくようすが観察できます。ところが乾燥が著しいカラコルム山脈では,雨がほとんど降らないために村が多い谷底には自然にできた森林がありません。それなのに高いところは氷河に覆われていて,そこから谷間を氷河が長くのびています。
これは,高いところでは降水量が多くて(雪として降っています)大きな氷河の成長につながっているのですが,低いところでは降水量が少ないために植物さえ育たない環境になっているためです。その結果,氷河のすぐ下には高い樹木が生えていますが(その多くは人間が伐採してしまっていて残っていませんが),その下の斜面には乾燥に強い背丈の低い植物がまばらに生えているにすぎません。
こうした自然環境のなかで,人びとはどのような生活をしているのでしょうか?当然のことですが水がなければ動物も植物も生きていくことはできませんし,農作物がなければ人間生活の維持は困難になります。農作物を得るために,この地域の人たちは古くから氷河の融け水を水路やパイプで村まで引っ張ってきて灌漑農業を行ってきました。カラコルムの谷底の集落にみられる緑は,そのほとんどが灌漑水によって維持されているのです(写真2)。
したがって,もし氷河がどんどんと融けていくと,彼らの生活が維持できなくなってしまいます。カラコルム山脈の氷河は必ずしも後退・縮小しているのではないと書きましたが,小さな氷河は後退・縮小していることが多く,そこに水源を求めている場合には村の存続が危ぶまれることになるわけです。
カラコルム山脈には,じつに多くの民族が住んでいることが知られています。現地に行くと,隣り合う二つの村でまったく異なる言葉を使う複数の民族を見ることもできます。彼らは,空間的に分布が限られた自然資源を最大限に利用して生活をしているのです。例えば、しばしば桃源郷と称されるフンザでは、背後に7,000メートルを超える山やまがそびえていて,氷河の融け水を使ってアンズやリンゴが育てられています(写真3)。この集落にはブルショスキー語を使うブルショー民族を中心とした人たちが住んでおり,下流域にはシナー語を話す民族が,上流域にはワヒ語を話す人たちが住んでいます。