シクロデキストリンには明るい未来が開けている
日本法人の終了に伴い(株)シクロケムを設立「ワッカーケミー社」の日本総代理店
寺尾: 私が「(株)シクロケム」を設立したのは、ワッカーケミー社ミュンヘン本社の日本法人に対する経営方針の転換と密接に関係しています。その節は、ゲーハートにもいろいろ力になってもらい、大変ありがたく思っています。
シュミット:あれは2002年のことだから、早いものでもう6年が経過したことになりますね。
寺尾:その時のことを少し話してみることにします。日本法人の「ワッカーケミカルズイーストアジア(株)」は[シリコーン][半導体][ファインケミカル][ビニル樹脂][セラミックス]と大きく5つの部門を束ねている会社でした。ところが、2000年の頃、事業部ごとにパートナーになる会社を見つけて、日本法人を終わらせるという方針が打ち出されたのです。私が籍を置いていた[ファインケミカル]の部門も、私に内緒で商社に売り込みを掛けているといった話が人づてに聞こえてきました。私はそれまで、ビジネスのほかにも、大学の講師として中央大学や神戸学院大学で学生たちと一緒に、自分のアイデアを実現するための研究も続けていて、水の中で分子と分子を簡単にくっつけることのできる脱水縮合剤の開発など、それなりの成果も上げていました。そうした研究・開発を含む働き方をしていたので、商社に私込みで売り飛ばすという水面下の話には納得がいきませんでした。
シュミット:会社を辞めて大学教授になることも視野に入れていろいろ考えていると聞いて、「ケイジにはいてもらわなければ困る。ケイジが独立してシクロデキストリンを扱う会社をつくってくれるのが一番いいんだよ」と私が勧めたのを覚えていますか。
寺尾:もちろん。ゲーハートと会った最初の頃の十数年前はシクロデキストリンにそれほど魅力を感じていなかったのですが、その実体を知れば知るほどドンドン嵌まって行って、途中からこれは面白いと興味を引かれるようになっていました。そして、この素晴らしいシクロデキストリンを独占供給してもらえるというのは、つまり競争相手がいないということであり、非常に安定したビジネスが構築できるわけです。考えてみればこんないい話はありません。そうしたことが相まって、独立・起業することを一大決心しました。それにつけても、ゲーハートには陰になり日向になり随分サポートしてもらいました。
シュミット:この日本法人の幕引きに伴い、[シリコーン]部門は旭化成(株)と一緒になって「旭化成ワッカーシリコーン(株)」として生まれ変わり、[半導体]部門は新日本製鐵(株)の関連会社の「日鉄電子(株)」を買収するという形ですんなり落ち着いたのでしたね。
健康食品の品質を高めたり、環境汚染の改善に役立てたり ますます広がるシクロデキストリンの応用範囲
寺尾:ゲーハートと知り合って気が付いたことのひとつに、人間と人間の付き合いには国境がないのだという点があります。地球上の人間同士として、生まれた国に関係なく、いい人間はいいし、悪い人間は悪い、心のわかり合える人間もいれば、感心できない人間もいるというだけのこと。いい友だちになるには、心が通い合うことが肝要なわけです。
シュミット:私はグローバルなスタンスで人と人がきちんとコミットできるには、信頼できるかどうかが一番重要だと思っています。
寺尾:ゲーハートとは心の通じ合う親友であると感じることがよくあります。私の去年のブログにそのことを記した箇所があるので、ちょっと長くなりますが、紹介してみますね。
―私とゲーハートは境遇がよく似ていて、どちらも父親はすでに亡くなっているのですが、母親は元気でした。1~2週間に1回、一人暮らしの母親の家に行って一緒に過ごすところも同じでした。ゲーハートは「ケイジ、自分たちは幸せだよな。ゲーハートママとケイジママはこうやって元気でいてくれるのだから」とよくいっていました。そんな時、私は“日本人の心もドイツ人の心も同じ、人種なんて関係ないな。ゲーハートは本当に私と気の合う親友だな”と思うのでした。そのゲーハートママが亡くなったのは、ちょうど1年ほど前です。亡くなったとき、ゲーハートから電話があって「It's tough」といっていました。今回の来日で、ゲーハートは久々に私の母に会いました。会うことを知った母は、いま流行っている「千の風になって」のCDをゲーハートにプレゼントしました。
母はこの歌詞が大好きで、ゲーハートにどうしても聞かせてあげたいと英語版を必死になって探してきたそうです。母からの日本語の手紙も一緒でした。『ゲーハートママも、お墓からではなく風になっていつも近くでゲーハートのことを見ていてくれるよ』といった手紙の内容を伝えたところ涙ぐんでいました。私はドイツに行くと、ゲーハートママの家(ミュンヘンから約100km離れたターンシュタインという村)によく宿泊させてもらっていました。その時、ゲーハートママに作ってもらったドイツ料理の味、夜寝る時に布団に入れてくれていた“湯たんぽ”の温かさが今でも忘れられません。手紙を訳しながら、それを思い出してしまって、言葉に詰まって最後まで訳すのに苦労しました―
シュミット:ケイジの住む神戸とケイジママが住む岡山、それに対してミュンヘンとターンシュタイン、それぞれ同じような距離間で、こんなことでも、私たちは本当によく似た“境遇”にあって、何だか不思議なぐらいです。
寺尾:ではここで、ふたりの考えの大いなる違いを示す話をしてみることにします(笑)。それは、なぜシクロデキストリンが存在することになったのか、という問いに対する考え方です。ゲーハートは覚えていますよね。お互いに意見が食い違った時のことを。改めてもう一度、その質問に対するゲーハートの考えを聞かせてほしいのだけど…。
シュミット:わかりました。地球が誕生したのは今から約46億年前のことで、約35億年前に最古の微生物が誕生し、そして約25億年前になると、太陽エネルギーを利用してブドウ糖を作る植物の祖先が出現してきます。すると、このブドウ糖をエネルギー源として体内に取り入れる微生物も登場してくることになります。しかしながら、100℃以下の環境に棲む微生物にブドウ糖は利用されてしまい、100~120℃といった高熱の環境に棲む超高熱菌ではブドウ糖の恩恵を受けることができませんでした。では、こうした超高熱菌は何を利用していたのかというと、それこそが220℃の高熱にも耐えられるとされるシクロデキストリンだったのです。そもそも超高熱菌のエサとして誕生してきたことが、二重の「環」構造を持ち、これほどまでに熱に強いシクロデキストリンの存在の意味といえます。
寺尾:科学的にはその説明の通りだと思いますが、私としてはもう少し文学的に解釈したいと考えています。今年(2008年)7月、BS11デジタルで放送された栄養機能素材情報番組「サプリのチカラ 第4回 シクロデキストリンのチカラ」に(株)シクロケムが取材協力した際、最後の方で私が述べたことでもありますが、近代化学工業の進展に伴い、これだけ私たち人間の生活をよくしてくれたのはまさしく化学のお陰といえる。しかし、いいことばかりではなく、病気の増加や地球の環境汚染に代表されるように、悪者として影響を及ぼしているのも化学の仕業である。そこで、化学者は責任を持って、健康の維持や地球環境の改善に貢献していかなければならない立場にあると。その時、大いに役立ってくれるのが、シクロデキストリンというわけです。近代文明によって疲弊した私たち人間と地球に授けられた“天の恵み”こそが、シクロデキストリンの存在する大きな理由のひとつと私は考えたいのです。食品や健康食品の品質を高めたり、農薬や香料、消臭剤、塗料、家庭用品に利用したり、環境汚染の改善に役立てたりと、シクロデキストリンの応用範囲はますます広がることが期待されています。
シュミット:私としても、シクロデキストリンに明るい未来が開けているように思うことでは、異存はありません(笑)。
寺尾:今後とも、シクロデキストリンの素晴らしさをより多くの人に知ってもらい、活用してもらえるように頑張りたいと思います。いろいろお話しいただきまして、ありがとうございました。
終わりに
シュミット:αやγのシクロデキストリンは工場生産されてこなかった物質なだけに、その製造法の開発者として、マーケットの開拓や用途の開発なども自ら率先して手掛けてきました
寺尾:近代文明によって疲弊した私たち人間と地球に授けられた“天の恵み”こそが、シクロデキストリンの存在する大きな理由のひとつであると、私は考えたいのです