株式会社シクロケム
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サイエンストーク科学の現場
高分子とシクロデキストリンの遭遇(3)

科学のプロとして、自分の手法を編み出すこと、研究資源を増やし、視野を広くもつことが大切。

日本の経済の強みは製造業の優秀さにあり、技術先進国の地位を取り戻すためにもすぐれた理系の人材が必要であると声を大にする椿本さん。そして、研究・開発の成功の確率を高めるには、文献などを熱心に当たり研究資源を増やすとともに、視野を広くもって市場の動向をしっかりつかみ、その両者の重なるところに焦点を絞るのが得策であるとアドバイスします。「前進のなかの安住」の言葉に深くうなづきあいながら、研究・開発の現場を活性化して、日本の未来を明るいものにと異口同音に語り、最後を締めくくりました。

シクロデキストリンは応用性が高く、高分子と絡めることも

寺尾:話がさかのぼりますが、椿本さんが工学部を志望した理由は何ですか。

椿本:私が大学に入学したのは1954年ですが、正直なところ、当時は工学部に進むことが就職するうえで極めて有利だったことが最大の理由です。理科系の人材を社会が強く求めていた時代だったということですね。大阪大学を選んだのは、実家にいちばん近い国立大学だったからです。教養課程が終わって、専科を選択する段階では、応用化学科がとても人気で、3.5倍ぐらいだったでしょうか、ここがいいだろうと、単純に決めてしまいました(笑)。

寺尾:私の場合と逆ですね。椿本さんよりも22歳下なのですが、私の時代は電子、電気、建築、機械などが花形で、化学はあまり人気がありませんでした。それで、進学の時点では、実際にどんなことを勉強するのか、わかっていなかったのですが、「鶏口となるも牛後となるなかれ」とたとえにもあるように、ここなら優位に立てる、勝負ができるのではと見込んで選びました(笑)。

椿本:化学とひと口にいっても、寺尾社長が専門とされる有機合成化学(低分子化学)と、私が手掛けていた高分子化学とでは随分、違いがありますよね。

寺尾:低分子では、分子量がはっきりしているので、こういう形をつくろうと思えば、それをすっきり思い描くことができます。ところが、高分子では、5000量体ぐらい、50万量体ぐらい、500万量体ぐらいというように平均的な数値でとらえ、純粋に単品としてみているわけではないので、複雑なわけです。一般的に、隣の学問は難しいことをやっていると思うものですが、「高分子」からみると、「低分子」は精密なことをやっているように思えるし、「低分子」からは「高分子」が複雑極まりなくみえて、どちらにとってもわかりづらいということになります。私のように低分子化学を専門にしてきた人間には、分子量が1000~2000のシクロデキスリンでも、水酸基がたくさん付いていて、有機溶剤でなく水に溶けるので扱いにくく、糖質なんてやりたくないと思ったものです。いまでは、シクロデキストリンに誰よりもどっぷり浸かっていますけど(笑)。

椿本:企業内の研究所にいますと、やがて役員への道に進むこともあるわけです。プロ野球でいえば、選手だったのが、フロント入りするようなものです。私の場合、自分の専門分野だけでなく、他の分野の研究所員が手掛ける仕事でもビジネス的に当てるコツがつかめたと思えた頃、役員への昇格の話が出ました。研究の仕事が好きだったものですから、「役員待遇の研究員として置いてください」と頼もうとしていたのですが、そのときちょうど、石川社長が体調を崩していて、口を利いたこともないに等しい北野会長から直接、「まさか、いやとはいわないでしょうね」といわれ、「ハイ」と。しかし、会長は、私のことをずっとみてくれていたようで、日宝化学に移ったときも、慰労と激励の手紙をくださり、同席する機会があると何かと声を掛けてくれました。そんなわけで、「あのとき、人見知りしないで、わがままをいっておけばよかった」と思ったりもしましたが、もう後の祭りです。運命の分かれ道でしたね、そういうことがあるものです。

寺尾:シクロデキストリンは非常に応用性の高い物質でして、高分子と絡めた仕事もできるのではと考えています。すでに、塗料やフィルムなどの分野で成果がみられます。椿本さんも「公開特許公報」を研究の参考にされたということでしたが、1970~1980年代のシクロデキストリンに関する「公開特許公報」を読むと、いろいろ興味深いアイデアが出されているのがわかります。この頃はまだ、シクロデキストリンが高価で、実用が難しかったが、いまなら可能というものもたくさんあります。全部、日本語で書かれていますし、特許申請の期間も切れているので、この辺りからも、椿本さんのアドバイスをいただきながら、デキストリン&高分子の可能性を探るのも面白いのではと期待しています。

椿本:ぜひ、それらを読んでみたいですね。自分の頭のなかでビジュアライズして、いろいろ構造を展望してみるというのが、すべてのスタートですから。それから、実験して、機能をチェックし、予測に反すれば、またやり直すという繰り返しが、研究の仕事でというわけです。


繁栄の原点である『モノづくり』を重視し技術的人材の養成に注力を

寺尾:昨今の理科離れを懸念する、椿本さんの随想を読ませていただきましたが、私もまったく同感です。

椿本:ずいぶん前に『化学工業日報』に掲載されたものですが、いまでも状況は変わりませんね。「我が国の経済の強みは、その製造業の優秀さにあることは、自明の理である」「本来は東西対立の構造が崩壊した時点で、日本の繁栄の原点である『モノづくり』を重視し、これまで得てきた優位性を維持し、さらに発展させるべく技術的人材の養成に注力すべきであったのに、逆に経済的発展の華やかさに目を奪われ、地味で地道な努力を要する理系がおろそかにされたのは皮肉であり、我が国にとって最大の不幸であった」「我が国が再び栄光と繁栄を知り戻すために残された唯一の望みはやはり人材である。技術先進国の地位を取り戻すことのできる優秀な理系の人材である」「理系復古のときはすでに来ている」などを要点として書きました。

寺尾:私が大学院を卒業し、ワッカーケミーのミュンヘン本社に入社した80年代中頃、ドイツは日本と米国を最も重要視していました。ワッカー法を開発したドクター・イエラと私の恩師の植村教授が知り合いで、日本の化学者がほしいという要請があり、それがきっかけで、私はワッカーケミーに入ることになりました。あの頃は、日本発のものがいろいろあったということです。それが最近では、日本よりも中国のほうがだんだん重視されるようになってきています。こうしたことからも、身をもって、我が国の理科離れの危機を感じている今日この頃というわけです。

椿本:僕はもともと、モノづくりが好きというのがあります。小学校に入学する前から、近所の鍛冶屋さんの仕事をよくのぞきに行ってました。それで、家に帰って、5寸釘をかまどで加熱し、金槌で叩いて延ばし、形をつくって砥いで、というところまでやっていました。しかし、この刃はなぜか切れ味が悪かったのです。大学で金属材料の講義を受けたとき、切れないのは炭素が足りなかったことがわかり、長年のナゾが解けました(笑)。大人になっても、ナイフやパイプ、ゴルフのパター、そしてバイオリンのミニチュアなど手づくりしました。趣味も研究も、どうすればうまく行くか、もっと上手にならないかと夢中になるところが同じといえます。

寺尾:シクロケムの研究室は神戸にあって、今年、研究員がふたり増えて7人になり、先進の分析機器なども導入して設備の充実も図っています。こういう時代なだけに、経営者としては、頭の痛いところなんですけど…。

椿本:日本触媒の創業者社長であった八谷社長の好きな言葉に、真珠湾攻撃を計画・立案し、戦後は参議院議員となった源田実さんの語った、「前進のなかの安住」というのがありました。じっとしていたら安住はない、前に進むから安住があるのだというわけです。

寺尾:私は、間違っていないということですね(笑)。最後に、先輩として、若い研究者たちにアドバイスをいただけますか。

椿本:これも八谷社長の言葉ですけど、あるとき、「化学のプロとは、何か知っているか」と聞かれて、「大学の先生ですか」と答えたところ、「アホか、彼らは文部省からカネをもらって研究している。自分たちは自らの稼いだカネで研究している。だから、化学のプロは自分たちだ」と教えられました。余談ですけど、この話を、近畿化学会の集まりで講演を頼まれたときにしたところ、後日、大学の先生方に会ったときに、「私、アマチュアです」といわれて閉口しました(笑)。ともかく、化学のプロのひとりとして、自分の手法を編み出すことが重要だと思います。そして、成功の確率を上げていくには繰り返しますが、研究資源を増やし、視野を広くもって市場の動向をつかみ、その重なるところに焦点を絞るのが得策でしょう。さらに、人間として精神的に強いことも大切ですし、また常に励ましてくれる人がいれば、それも大きな力になってくれるものです。ひらめきも大切ですが、フランスの数学者であるポワン・カレが著書『科学と方法』のなかで、またエドワード・デボノが著書『水平思考の世界』のなかでも述べているように、これは必死になって考え抜いた末に、あるとき、パッと浮かぶといった類いのものだと思います。私自身、夜も眠れないほど妙案を求めて悪戦苦闘する日々が続くなか、何かの用で人を待っている空白のときにアッとひらめいたといったことを何度も経験しています。もうひとつ付け加えると、仏教の大家にこの話をしたところ、「悟りと同質のものでしょう」ということでしたよ。

寺尾:日本の明るい未来のためにも、研究・開発の分野をより活性化させることが大切なわけで、今後ますます頑張っていきたいと思います。貴重なお話をいろいろありがとうございました。

終わりに

椿本:紙おむつに使ってもらうために、開発したSAP(高吸水性ポリマー)をもって米国のP&Gに売り込みに行き、厳しい品質チェックをクリアして契約締結に。P&Gのドクター・アーリーから、『私は、あなたの会社を選んだことを誇りに思っている』といわれたときは嬉しかったですね

寺尾:私どもシクロケムでも、SAPを使用させてもらっています。シクロデキストリンで香料を包接し、SAPと合わせることで、シクロデキストリン包接体による長期間に渡る高い消臭機能を発揮させ、SAPの吸水性を利用した製品の付加価値化を実現。現在、ペットシートに使われていますが、将来的には紙おむつにも利用してもらいたいと期待しています

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